今回は、大原扁理著『フツーに方丈記』をご紹介します。
著者は20代で世をはかなみ、週休5日の隠居生活をするという、かなりマイノリティーな生き方をしている方です。
こういった、世間一般とは異なる生き方をしている人の視点には、多くの気づきがありますし、数々の読書経験に裏打ちされたその指摘には、妙に納得させられます。
この作品は、コロナ禍によって海外での隠居生活が崩壊し、さらに親の介護をすることになった著者が『方丈記』を読み返して感じたことが書かれたエッセイです。
著者が監訳した『方丈記』もまるまる載っていて、大原節炸裂といった感じです(巻末に原文も載っています)。
- 現在の世の中あり方に、なんとなく違和感を感じる…
- 仕事や生活に関して、日々、自分がやっていることにあまり納得感がない…
- 将来に漠然とした不安を抱えている
という方にオススメの一冊です。
今回は、作中で特に深く考えさせられた内容についてご紹介していきたいと思います。
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そもそも『方丈記』とは?
本書の解説に移る前に、
「そもそも『方丈記』ってなんだっけ?」
と思った方のために、軽くこの作品について触れておきたいと思います。
“ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。”
有名な冒頭で、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
方丈記は、鎌倉時代に鴨野長明という僧侶によって書かれた作品で、「枕草子」「徒然草」と並ぶ日本三大随筆のひとつです。
長明は、下鴨神社という京都で有名な神社の禰宜(神職の最高官位)の次男として産まれた超エリートでしたが、親族間の跡目争いに敗れ次第に没落…
さらに10年程の間に、数々の天災・人災に見舞われるという不運な青年期を送ります。
そして最終的には出家を済ませ、一人山奥に小さな小屋を建て、自給自足の暮らしを始めるのです。
世の中をあきらめて?隠居生活をするあたり、著者と通じるものがありますね。
『方丈記』は、この「山奥ひきこもり生活」について書かれたエッセイであると同時に、「数々の災害についての貴重な資料」という側面もあります。
災害そのものが、どれだけ凄まじかったかという事実と合わせて、当時の人々が、災害にどのように巻き込まれ、どのように忘れていったのか…
人々の様子を一歩引いた視点から見た長明の想いが書かれた作品です。
自給自足、自分でやる安心
緊急事態宣言下って、外注して他人にやってもらうという手段が使えない。すると、それまで当たり前だった生活が何に依存していたのか、というのがハッキリとわかりますよね。 コロナ禍で人々が何に困ったのかを思い返してみると、筆頭にあがるのは飲食店や娯楽施設が営業できないことだったと思います。続いて、物流と医療。 ということは、現代人は「料理をする」「遊びを作る」、そして「モノを運ぶ」「心身を治す」ということを社会や他人に任せっきりにしていて、自分の力でやるのをサボってきたのかもしれません。
大原扁理著『フツーに方丈記』株式会社百万年書房(2022年)
コロナ禍で困った人と困らなかった人の違いは、社会システムへの依存度の違い。
自炊し、趣味は散歩と読書で、少し体調が悪くても民間療法で治すという著者の生活はコロナ前とほぼ変わらなかったそうです。
長明も自給自足の生活を送り、“自分でできることを他人にやらせるなんて罪業だ”とまで言っています。
でも言うだけあって、棲家である小屋は自作ですし、服も自分で編んだ籐布といった具合に、衣食住のほぼすべてを自身でまかなっていました。
現代ではお金を出せばいろいろなモノやサービスが買えるし、便利な世の中です。
自分の専門分野や得意なことでお金を稼ぎ、そのお金を使ってその道のプロに任せるのは、合理的だし安心なようにも思います。
しかし、著者は安心にも種類があり、お金で人に任せるのは「太くて短い」安心だと言います。
お金を出せる時はいいけれど、お金がなかったら、任せる人がいなかったら……という漠然とした不安が常に付きまといます。
一方、自給自足は「細くて長い」安心です。
自分自身が生み出したものは、プロが作ったものには遠く及びませんが「何かあっても自分でどうにかできる」と思えれば、人生をいい意味で楽観視できそうです。
すべてを自分でまかなうのは現実的でないにせよ、自分で自分の生活に必要なモノを生み出すことができるのは、「働いてお金を稼ぐ」とか「貯金する」ことと同じくらい、日々の生活の「安心」に繋がるのかもしれません。
今ココにいる人間中心主義
だったらもう、最初から「人間は人間だけで生きてるんじゃない」という認識で暮らし方や考え方を見直した方が、長い目で見ればよっぽどラクに生きていけるんじゃないですか? そうすると当然、環境問題や動物愛護問題に関わってきますよね。でも、今すべてをエコ・フレンドリーでアニマル・フレンドリーにすると、現状の経済システムでは持続不可能になる、という問題もあります。(中略) で、こういう問答が出てくること自体、現在の経済システムが「今ココにいる人間中心主義」で成り立っているものだ、という証明になっていると思います。
大原扁理著『フツーに方丈記』株式会社百万年書房(2022年)
「人間中心主義」の価値観の中だけで生きていると、「人間は自然の一部である」という当たり前のことを忘れてしまいがちです。
多くの人が無意識にそのような価値観を持ち、頑張ってきた結果が、現在の環境問題を含む、様々な問題の要因になっているのではないか……。
すごく考えさせられました。また、著者は次のようにも述べています。
私はこの「人間中心」という考え方が、な~んかイヤなんです。(中略) だってさ、人間中心主義の「人間」の範囲を、いったい誰が決めてるんでしょうか。そう遠くない過去に、特定の人種であるというだけで、人間なのに「人間」に含まれず、奴隷にされたり、虐殺されたりした人たちがたくさんいましたよね。というか今でもいますよね。 この原理で動いている場合、私がその世界で何の役にも立たない、あるいは害であると判断されたら、私は人間であるにもかかわらず「人間」から外されるってことじゃないですか?
大原扁理著『フツーに方丈記』株式会社百万年書房(2022年)
著者のいう「人間中心主義」は、人間に都合のいいように自然を操作することはもちろん、社会にとって「役に立たない人間」を排除しようとする考えも含まれます。
この価値観の下では、誰もが「排除」される可能性を持っており、安心できる社会とはとても言えません。
「人間中心主義」に染まりきらないようにするためには、著者の勧めるように「自然に触れる」ことが大事かなと思います。
自然の多いところを散歩したり、道端の草花に目をとめてみたり…
そんな小さなことから“自然 (=人間を含むもっと大きな営み)の中に自分を位置づけ直す”ことができたら、今よりちょっぴりラクに生きられるのかもしれません。
普通に生活していると、自分の生きている社会が「今ここにいる人間中心主義」という原理で動いているかもしれない…という考えには至りにくいと思います。
自分が当たり前に受け入れている社会や価値観に疑問を持つきっかけになりました。
どうしたらみんな幸せに生きられるか?
いや、正直、私も思いましたよ。仕事で障がい者の介護を、そして短期間ですが親の介護も経験していて、「他の動物は介護しないのに、なんで人間だけが介護しなきゃいけないんだろう?」と。 (中略)どうしても弱者というのは一定数生まれるこの社会で、どうしたら彼らもいっしょに生きていけるか、それを考えられるのが人間が人間である理由であり、霊長類最強になれなかった他の動物との決定的な違いであり、そしてまた、人間がここまで複雑に、豊かに存続してきた理由だと私は思うのです。
大原扁理著『フツーに方丈記』株式会社百万年書房(2022年)
「人間にあって他の動物にないもの」それを「人間らしさ」と呼ぶならば、それは「想像力」ではないかと著者はいいます。
私たちは自分で体験していないことでも、他者の体験を通して、まるで実際に体験したかのうように感情が動き、そこから何かを学ぶことができます。
“If I were in your shoes. (もし私があなたの靴を履いていたら) ”…もし私があなたの立場だったら…
少し運命が違えば、自分も障害者として生まれてきたかもしれないし、これからだってその可能性は十分にある。
今は元気で自分のことは自分でできるけれど、高齢になればそれが叶わないことも出てくる。
「人の身になって考えろ」とはよく言われてきましたが、果たしてちゃんとそれができているのか…この部分を読んでハッとさせられました。
今回は、大原扁理著『フツーに方丈記』をご紹介しました。
語り口は軽くてスルスルと読めるし、思わずクスッと笑ってしまう部分も多いのに、扱っているテーマは深いのが著者の作品の特徴かと思います。
実はわたくし、著者のファンでありその著作はほとんど読んでいます。
『いま、台湾で隠居してます』や『年収90万円でハッピーライフ』などもとても面白く、多くの方にお勧めしたい作品です。
今回の記事をきっかけに本書を実際に手に取っていただけたら嬉しいです。
この記事が何かお役に立てれば嬉しいです。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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