『ケアしケアされ、生きていく』【解説・感想】他人に迷惑をかけていい!

本の紹介

今回は、竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』という本をご紹介します。

この作品は 現在の日本を覆う生きづらさを「ケア」という視点から捉え、お互いがケアしあう関係性を提唱した本です。

ちょっと難しそうに書いてしまいましたが、特に専門用語なども出てきませんし、かたい表現もないのでスラスラ読めると思います。

「ケア」ときくと子育てや介護など「誰かへのお世話」をイメージすると思いますが、本書で語られる「ケア」はもっと深く、ずっと身近にあるものです。

「ケア? 自分には関係ないよ。」

と思われた方も、本書を読み進めていく内に「なんとなく感じる生きづらさ」「自分自身への自信のなさ」「今の生活に充足感がないこと」すべてに、「ケア」が深く関係していることに気付くと思います。

  • 他人と自分を比較して、自信をなくしてしまうことがよくある
  • 自分の言いたいことがあっても周りを気にして我慢してしまいがち
  • 子育てや介護に少し疲れてしまっている…

という方におすすめの一冊です。

「ケア」とはなにか、本書と一緒に考えてみることで、共に想い合う豊かな世界が見えてくるはずです。

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迷惑をかけるな憲法

教員として、20歳の大学生を定点観測している著者は、「今の若者はあることに縛られている」といいます。

それは「迷惑をかけてはいけない」という強烈なルールです。

法律で決まっているわけでもないのに、多くの日本人にとって、まるで生きていく上での前提になっているかのようです。

 大学で働いていると、「相手の顔色をうかがう」学生が本当に多と思います。それは、小中高の十二年間の教育や、それまでの「しつけ」を受ける中で、「大人の顔色をうかがって、許してもらえそうなことをした方が、うまくいく」という「成功体験」が刷り込まれているからではないか、と思っています。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

学生のときって、先生や先輩のいうことが絶対ではありませんでしたか?

下手に逆らうと痛い目に合うことが分かっているから、黙って従って「いい子」を演じる。

社会人になってからも、上司やクライアントの顔色をううかがわないといけない場面なんてイヤという程あると思います。

そうやって、空気を読んで、その場の空気を乱さないように、他人に迷惑をかけないように、頑張っている。

ですが、著者は次のようにいいます。

(前略)「他人に迷惑をかけてはいけない」と必死になって、親や教師や大人の顔色をうかがって、自分の思いや意見を押し殺し、伝えるのを諦めてしまう。それは、自分の声を抑圧し封印する、という意味で、自分への気遣いや配慮という意味での「魂へのケア」が決定的に欠けている状態です。そしてそれは、すごくしんどい状態でもあります。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

そうして、そのしんどさが溜まっていって、それ以上我慢できなくなったとき、不登校や自傷行為、大人への反抗といった様々な問題行動として、彼らは言語化できない苦しみを「表現」します。

でも、それらの「表現」はしばしば、単なる「問題行動」として流されてしまいます。

子育てとケア

著者が先のような考えを持ったのは、娘を授かって子育てに関わるようになったことが大きいといいます。

子どもはある意味で「他人に迷惑を掛け続ける存在」です。

周りの大人からのケアがなければ、生命維持そのものが難しいことからも「他人に迷惑をかけること」を前提に生きているともいえます。

ですが、親や周りの大人は子どもに対して「一方的に与えている」のかといえば、そんなことはありません

(前略) 私たち夫婦は、娘との日々の中で、娘のケアを通じて、娘からケアされてきました。そういうケアし合う関係を作ってきました。それは、「迷惑をかけ合う」日々なのですが、そこには「迷惑をかけない憲法」に従っていた時代には想像もしえなかった、豊かな別の世界が展開されていました。娘との関わりの中で、私もずいぶんとケアをされてきました。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

子育ては大変なことも多いです。

でも、実は子どものケアを通して、自分もケアされている側面があります。

  • 子育てを通して「癒されている」「新たな気付きを得ている」
  • 子どもから「愛してもらっている」「親としての存在価値を与えてもらっている」

と言い換えると、イメージしやすいかもしれません。

実際に著者は、子どもの身の周りのお世話をしたり、一緒に公園で遊んだりする中で、他者評価を気にして、仕事中毒になっていた自分に気付いたといいます。

また、子どもは大人に比べ、圧倒的に「外」に開かれています

自分の感情や能力にリミッターを掛けないから、イライラすれば怒るし、悲しければ泣くし、楽しければ笑う。「自分には無理そう…」とやりたいことを諦めたりもしません。

そんな娘との関わりの中で、著者は「どんくさい」「運動神経が悪い」という自分自身へのネガティブな思い込みを改めました。

今では人生初のサッカーシューズまで買って、ボールを追いかけるのを楽しんでいます。

子どもへの「ケア」を通して、自分自身の苦手意識を見直し、可能性が開かれたともいえるでしょう。

忖度の芽生え

著者の娘は、小学校にあがったくらいから、「怒ってるの?」と大人の顔色をうかがったり、怒られると「ごめんなさい」と即座に謝ったりするようになったそうです。

著者はこれを「忖度の芽生え」を読んで、次のように語っています。

 子どもが親の言うことを何でも聞いてくれた方が、親は楽だ。でもそれは、親のことを忖度する子どもに育てることであり、子どもの自主性や主体性を奪うことで、それは嫌だ。楽なことを選びたい気持ちはゼロではないけれど、子どもの未来を考えたら、そんな残酷なことはしたくない。相反する二つの気持ちが私の中で葛藤しているのです。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

大人に忖度し、自分自身の気持ちを抑えこむことを繰り返していく内に、大人の命令に盲目的に従う子どもに育っていく…。

これを解決するためには、親の側のコミュニケーションパターンを変えることが必要です。

(前略) 子どもは、自分の快/不快を自分でコントロールしにくいから、親のサポートが必要なのです。子どもの自主性を育みたければ、親の方が一歩子どもの方に歩み寄って、子どもが受け入れられる注意の方法を探る。それは、子どもへの妥協でも、子どもへの甘やかしでもなく、子どもへのケアで大切なポイントであるように思います。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

親も人間ですから、子どもに本気でイラッとするときもあるでしょう。

だからと言って、子どもの主張を頭ごなしに否定したり、あしらったりすれば、そのコミュニケションパターンを子どもは学習し、親に対してまったく同じような態度を取るようになります。

ですが、頭では分かっていても「自分(親)の方の関わり方に問題があるのでは?」と疑って、それを変えていくことは簡単ではありません。

それは、「親自身に余裕がない」というだけでなく、子どもの頃の育てられ方、つまり、どのようにケアされてきたか、ということが深く関わってくるからです。

 あなた自身は、大人から、どのようにケアされてきたでしょうか? それは満ち足りたものだったでしょうか? (中略) こういったことを見つめ直すのは、自分が蓋をしてきた「心のかさぶた」を剥がすようなことであり、ある種の痛みや傷つき、あるいはトラウマと向き合うつらさを感じておられる人も、いるかもしれません。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

他者をケアする経験は、自分がどのようにケアされてきたか?を見つめ直すきっかけになるのです。

自分へのケア

著者は、自分の半生を “自分に対してケアレスだった” と振り返ります。

“自分に対して不注意で、ぼんやりして、気が散っている。”

それは、ずっと著者が「他者比較と他者評価」を気にしていきたからです。

「他者比較や他者評価」と「ケア」って、一見関係がなさそうですが、これらに注意を集中させていくと、自分自身の内面についてケアレスにな状態になっていくといいます。

さらに、「他者比較と他者評価」と「同調圧力や空気を読むこと」にも密接な関係があります。

(前略) 自分自身が他者の顔色をうかがい、理不尽にも耐え、言いたことも言えず、やりたいこともやらず、他者の意向を優先し、我慢し、それでも地道にコツコツ努力している。周りを見回せば、みんな同じように「迷惑をかけるな憲法」に従っている。それが「当たり前」なのに、その憲法を無視して、自己主張をしたり、わきまえなかったり、好き勝手にしている (ように見える) 人は許せない。自分はこんなに頑張っているのに、わきまえない人をみると、自分自身のことが自己否定されているようで、許せない……。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

お互いの顔色をうかがって、自分がしたいことを我慢し、わきまえて、決められたルールに従うことで、見かけ上うまく回っていく。それが、現在の日本の社会といえます。

本書が出版された令和5年は、昭和で数えると98年になります。

昭和の猛烈サラリーマン (あるいは彼らを支え、子育てや介護を一手に引き受けてきた女性たち) の頑張りによって、日本はここまでの経済成長を遂げました。

ですが、失われた30年とも言われるように、かつての右肩上がりの成長は完全に過去のものとなりました。

もう「理不尽に耐えて頑張れば、報われる」という価値観は “賞味期限切れ” になっているのです。

それなのに、私たちは未だに “昭和98年” を生きているかのようです。

これこそが、日本の社会を覆う「生きづらさ」の正体です。

ともにケアする社会とは?

著者は、「ケア中心社会」を提唱します。

あたり前ですが、人はあらゆるレベルで助け合って生きていますよね。

「子育て」ひとつとっても、夫婦二人だけではとてもできません。

保育園や学校の先生、実母(父)・義母(父)、地域の大人たち、同じ保育園・学校に通う子供たち…と、様々な人に助けられて、子どもは育っていきます。

(前略) あなたへのケアを「面倒なしがらみ」だと周囲の大人が拒否していたら、そもそもあなたはこの世に存在していません。つまり、あなたがここまで生き延びてきたのは、一人で暮らせなかった (経済的にも身体能力でも自立ができていない) あなたのことを、気にかけ、手を差し伸べてくれた人がいたからです。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

誰かからのケアがあったからこそ「いま・ここ」に私はいる

そして、今度は誰かをケアする立場になったとして、私たちは一方的に「お世話をしてあげている」のではなく、ケアを通して様々なものを受け取っています

著者は、互いが互いを必要とする関係性、相互依存的な関係性こそが、ケアの醍醐味だいいます。

(前略) みなさんも、このケア中心の楽観主義を生きてみませんか? まずは、身近な他者と「違いを知る対話」をはじめること。自分とは違う「他者の他者性」をじっくりうかがい、そのものとして理解しようとすること。それが、ケア中心社会に至る「できる一つの方法論」の入り口である。私はそう考えています。

竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』株式会社筑摩書房(2023年)

おわりに

今回は、竹端寛著『ケアしケアされ、生きていく』という本をご紹介しました。

「ケア」という切り口から、現在の日本社会の「うみ」のような部分や、相互承認関係が生みだす豊かな世界についてみてきました。

ご紹介に当たって、本書の要点をなるべくコンパクトにまとめたつもりですが、内容がとても深いので取りこぼしがあるかもしれません。

興味を持っていただけた方は、ぜひ実際に本書を手に取ってみてください。

私自身も、何回も繰り返し読んでいくことで、理解を深めていきたいと思います。

この記事がなにかお役に立てれば嬉しいです。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

プロフィール
ひなた

・1989年生まれ
・2児(5才・7才)のママ
・リハビリの専門職
・趣味は読書&散歩

このブログでは、子育てや仕事、生き方に迷ったとき私を支え、活力となってくれた本をたくさんご紹介していきます。

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